一日暮らし
『一日暮らし』
昨日旧友に会ってきました。
昨日、息子たちを保育園まで送り届けた後その足で1時間ちょいかけて水戸までブーン🚗
中高の時から仲の良い友人に会ってきました。
その友人は年末にお腹の中で亡くなった息子を出産する、という
とても悲しい経験をしていたので
元気かな、と気にかけていました。
まぁずっと連絡はとってたのですが、
実際にやっぱり会いに行ってよかったな、と。
私も長男を出産する前に流産経験があったので、本当に辛いなと思います。
しかも友人は週数もだいぶ進み、お腹も大きくなっていたので、もうお腹の中で亡くなっていても出産するしかなかったのです。
自分を責めて、辛くて辛くて、、、
もぬけの殻になります、、、
でもね。
悲しくて泣いててもしょうがない。
私たちは生きてるんだから。
家族や近しい人が亡くなったってそう。
それは本当に悲しい。
でも、
自分を責めたって、泣いたって、
その人が帰ってくるわけではない。
その人が自分のせいで残された人が泣いてる、辛い想いをしてるのを望んでる訳がない。
だから、
その出来事を『再定義』する事が大事。
その友人は実は
車で運転してて、縁石乗り上げて畑に突っ込んでエアバッグが出て
自分は無傷だったのに赤ちゃんを守ってあげられなかった
と自責の念が渦巻いてる。
お医者さんは
『元々貧脈だったから、事故がなくても1カ月先までは生きていられなかったかもしれない』
と言ってたようだけど。
そして周りは
『赤ちゃんが守ってくれたんだよ、〇〇ちゃんが生きててよかったよ』
と言ってくれたみたい。
でも私の時ですら
『あの時もっと安静にしてれば、、動き回らなければ、、、』
と思ってた。
でも、この流産の経験が与えてくれたものって
・妊娠の喜びを教えてくれた
・命の儚さを教えてくれた
・命の尊さを教えてくれた
・2人を親にしてくれた
・私に母親になる覚悟をくれた
・お腹の中に自分とは別の生命がいると言うなんとも不思議な感覚を味あわせてくれた
・命と真摯に向き合うことを教えてくれた
・悲しみを乗り越える強さをくれた
沢山の経験してみないとわからない、お腹に来てくれたからわかる事、また亡くなってしまったからこそ教えてもらえた事があった。
だからこそ、勿論無駄なことなんて全くないし、お腹に来てくれた事に大感謝して、
真摯に向き合う。
『目を背けたり、忘れようと努力したり』
そんな事は超無意味。
『色んな事を教えてくれてありがとう。
大切な時間を一緒に過ごしてくれてありがとう。
あなたの命を大切に想って、
私も命を全うしていくね。』
私も亡くなった子のエコー写真を見る度に
そういう気持ちでいます。
きっと、あんなに小さくてなくなってしまったあの子の事を、
こんなに想っているのは私だけ。
それだけ私に大切なものを、あの子は残してくれたんだな。
そして
息子たちの命だって、
私の命だって、
人間みんな明日もあるかなんて保証はどこにもない。
『一日暮らし』
今日を精一杯生きる。
明日死んでも悔いがないように。
毎日毎日、一日を誠実に、精一杯、出し惜しまずに。
愛を込めて!!!